存在意義を感じるために | 幸せは自分の心の中にある

メンタルヘルス

存在意義とは

存在意義とは、自分が存在している意味や価値のことです。
人は誰しも、自分がこの世に存在している事に何らかの意味や価値を見出したいと思います。
「自分は他から必要とされている」「社会の役に立っている」「価値がある人間である」と実感できることで、自分の存在意義を確信します。
この世界に存在していることにより生み出される価値、この世界に生きているということの尊さや不可欠性などを信じたいと思っています。
万が一、自分の存在意義を見いだせなくなると、自殺したり、引きこもったり、たちまち生きる活力を失ってしまいます。

生きがい

自分に存在意義がないと考えてしまうのは、今、自分の心が充たされていないからです。
心が充たされていれば、存在意義を考えるまでもなく、自分の存在意義を自覚できます。
存在意義を自覚できないのは、生きがいを持っていないからとも言えます。
生きがいがあれば、虚しくなることは、ほぼないでしょう。
存在意義を感じられる為には、生きがいを見つける必要があります。

ナチスドイツが行なった穴掘り拷問

ナチスドイツがユダヤ人に行なった穴掘り拷問は、まず囚人に1日かけて大きな穴を掘らせ、そして次の日に前日に掘ったその穴を埋めさせ、それを毎日毎日繰り返すというものです。
囚人にとっては何の意味も無い過酷な労働がいつ終わるかわからない状態で毎日続く事で、囚人たちは精神的に参ってしまいます。
人間にとって「目的」「意味」「意義」「生きがい」は生きていく上、精神を正常に保つためにとても大切なことです。

存在意義には2種類ある

存在意義には、「他人に依存する存在意義」と「自分の内側だけで完結する存在意義」の2種類が存在します。
「他人に依存する存在意義」とは、社会やグループや自分以外の人から存在を認められているということです。例えば、「会社で必要とされている」「友達に仲間として認められている」など他者から価値を認められ、必要されている事を実感できる価値です。これが「会社からリストラされる」「友達から仲間はずれにされる」など「自己を否定される」事を経験すると自身の「存在意義」は揺らいでしまいます。
「自分の内側だけで完結する存在意義」とは、自分自身の中に確固たる価値観であり、生きていく目的であり、その目的を果たすために、自分が存在していることが自分にとって確信できる意義です。
「他人に依存する存在意義」では、他人からの評価に左右されるため、常に精神が不安定になってしまいます。
自分がどんなに頑張ったとしても、必ずしも期待する結果が得られるとは限りません。
一生懸命やったのに期待が外れて落ち込んでしまうと、簡単に自分の軸がぶれてしまいます。
最終的に価値観を感じるかどうかは心の問題です。自分の心で価値観を感じられることが、自分の軸を安定に保ちます。

全ては関連し影響し合って存在している

例えば、ペットボトル飲料は、ペットボトルを発明した人がいて、ペットボトルの原材料(原油)を採掘する人がいて、原材料を輸入する人がいて、製造加工する人がいて、中身の飲料水を企画・開発する人がいて、広告宣伝する人がいて、流通する人がいて、販売する人がいて、購入する人がいて、飲み終わったらゴミを処理する人がいて、ありとあらゆる人が関係して成り立っています。あなたは関係していないと思っているかもしれませんが、少なくとも「購入する人」として関連し影響し合って存在しています。
宇宙のあらゆる物事は、無意識的に関連し影響し合って存在しています。
あなたが生まれたのも、両親がいたからで有り、先祖が存在したからであり、社会が存在したからです。
実は「存在」については、単発で発生しているモノではなく、色々なモノが関係して「存在」しており、そもそもそこに意味が無いという事はありません。問題は心の感じ方で「存在意義」を感じられるか否かだと思います。

人は自分が重要だと思ったものしか認識しない

人は、色々な感覚器官から一度に多くの情報を感じていますが、全ての情報を脳が受け入れていては、情報が多すぎて処理が間に合わなくなってしまいます。そこで人間の脳は、重要だと思うことに意識して情報を処理するようにできています。例えば、渋谷の交差点をファッション関係者と自動車の販売員が見ると、見える景色が変わってきます。ファッション関係者は、人々の服装に意識がいくでしょうし、自動車販売員は車に意識がいくでしょう。人は何を意識するかによって認識できるものも変わってきて、「価値観」も異なってきます。
自分に対する「存在意義」も脳で創り出される「価値観」によって異なってきます。
ある人は、「お金」が大切だったり、ある人は「社会的地位」が大切だったり、ある人は「他人からの評価」が大切だったり、ある人は「信念」が大切だったりします。その人がなにを重要としているかによって、脳が認識するものは異なり、その人が重要だと感じる「存在意義」の尺度も異なってきます。

幸せは自分の心の中にある

人は、自分に価値があと感じると、自己肯定感から幸せを感じます。
「社会の中で、どれだけ必要とされているか」で自分に対する自己肯定感は異なります。
つまり、社会に必要とされている、存在価値があると感じる事で人は幸せを感じます。
社会に必要とされる為には

  • 誰に貢献できるのか?
  • 何を貢献できるのか?
  • その結果どういった効果をもたらすことができるのか?
  • そのための自分の役割は何なのか?
  • 自分を必要としてくれる場所は何処なのか?

を意識する必要があります。

自身の存在意義を見出すには、「必要とされる存在」となる必要がある為、誰かから何かを得るというよりも、人に与えることによって「必要とされる存在」になることを意識する必要があります。
ケネディー元アメリカ大統領は、「あなた方が国から何をして貰えるかを問うのではなく、あなた方が国に何をすることが出来るかを問うべきである」という言いました。存在意義を見出す上で「社会に対し何が貢献出来るか」といった思考が「必要とされる存在」になるためには必要です。

自分のできる範囲で、他者の役に立ち、どのような貢献ができるかを考えることが、自身の存在意義や存在価値の発見につながります。
貢献することによって得られる意義と満足感こそが、幸福感を得る源であり、自身の存在意義を確信することができます。

幸福は心で感じるものです。お金や物質では全てを得る事はできません。
「社会の役に立つこと」で自分の価値が決まり、その価値については、自分自身が感じるものであり、決して自分に嘘をつくことはできません。それは決して見返りを求めるものではなく、「自分の内側だけで完結する存在意義」の為に行うものです。利己では決して得られない幸福感があります。幸福感は、「社会の役に立つこと」といった尊い利他の精神によって得ることができます。

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