論理的思考:帰納法
帰納法とは、さまざまな事実や事例から共通する傾向をまとめて、結論につなげる論理的推論方法です。
例えば次の通りです。
(事実や事例)
- ソクラテスは死んだ
- プラトンは死んだ
- 聖徳太子は死んだ
(結論・推論)
- よって人は必ず死ぬ
帰納法では、いくつかの事象を観察し、共通点を見つけ、ルール・法則(仮説)を導きだします。
帰納法により、普遍的な法則を見つける事ができれば良いのですが
例外が存在する場合や、サンプルが少ない場合は、ある程度までの確率や確度といった蓋然性(確実性の度合い)に留まると考えられます。
共通点を見つけルール・法則(仮説)を導きだす為には、
- どのような事柄に注目するか
- そこからどのようなルール・法則(仮説)を見出せるか
がポイントです。
また、共通なルール・法則(仮説)を見出す為には
- 十分な知識
- 共通なルール・法則に気付ける力・想像力
- 十分なサンプル数
- サンプルに偏りが無いこと
- 情報が正確であること
が必要です。
つまり、共通なルール・法則(仮説)を見出す為には、「人の能力」と「サンプルの確証性」が求められます。
また、導き出されるルール・法則(仮説)は一つとは限りません。
相関関係と因果関係の誤解
相関関係と因果関係は必ず一致するとは限りません。
まず、相関関係と因果関係について説明します。
- 相関関係
→Aという現象とBという現象に間に、何らかの一定の関係が存在する - 因果関係
→Aという事象がBを引き起こす
例えば
- 学力が高い子どもは、体力があるという場合が多い傾向がある(相関関係)
- 体力があるから学力が高いと言う事は成り立たない
→学力と体力の因果関係は無い
相関関係は統計的な傾向から導き出されますが
因果関係は原因と結果のように、明らかに2つの事象の間に関係が存在する場合です。
世の中には、「相関関係があれば、あたかも因果関係も存在する」といった考えや記事や通説が多く存在します。
しかしながら、因果関係が証明されてない通説を信じるのは、確証のない(正しくない)情報を信じることであり、お金と時間の無駄だと思います。
軽率な一般化
世の中には、サンプル数が少ないものの相関関係(サンプル数1の場合もある)や、サンプルが偏っているものの相関関係を、あたかも因果関係があるように論じていることがあります。
またその結論(推論)を出すにあたって、主観的な考えが含まれていることが多くあります。
ただ人の話を鵜呑みにするのではなく、情報の根拠が正しいかどうかを、自分の頭でロジカルに考え、正しく評価しなければ危険です。
例えば
- 私の周りにいるB型の人は、皆な自分勝手だ(相関関係)
- B型の人は、自分勝手だ(結論)
この例はサンプルの偏りがあり、サンプル数が少なすぎます。
また主観的な判断で結論を出しています。
気をつけるポイントは、サンプル数、サンプルの偏り、そして反証の有無です。
人はステレオタイプなものの見方を一度してしまうと、その考えを打ち消す情報を遮断する傾向にあります。
また、人は自分が主張を強める情報のみに興味を示してしまう傾向があります。
このような偏った思考傾向があることを認識し、考え方が偏らないように、意識しなければなりません。
帰納法では、人が共通なルール・法則(仮説)を見出します。
そこに「絶対的な正しさ」は無いと考える方が安全です。
この方法は、確率や確度といった蓋然性(確実性の度合い)留まります。
思い込みでロジックを進めていくのは危険です。
「本当にそうなの?」と一度立ち止まって冷静に反証してみることも大切です。
帰納法と演繹法
帰納法は「さまざまな事実や事例から共通する傾向をまとめてルール・法則を見つける」
演繹法は「法則やルールと、事実や観察事項から、結論を導き出す方法」です。
帰納法で「ルール・法則を見つけ」演繹法でそれを使い「結論を導き出す」ことができます。
よって帰納法と演繹法は合わせて使われる場合が多くあります。
帰納法と演繹法を使っても、ロジックを作成するのは人間です。
プロセスやサンプルに誤りがあれば正しい結論は導き出せません。
この事を認識して、反証や見直しを何回も行いロジックの精度を上げていきましょう。
コメント