人生で失敗したと思った経験(1回目の転職)
人生において、「失敗した」「無駄だった」と思った瞬間はいくつかあります。
私は何回か転職をしています。
社会人になって最初に入ったのは、日本電気エンジニアリングという会社です。
ハードウエア技術者としてPOS(店舗のレジ)の電子回路の設計を行っていました。
ローソンやサンチェーンの初期のPOSは私の設計です。
若いながらも技術主担当としてメインボードの設計やプリンタ制御の電子回路の設計、プリンタ制御の制御プログラムの開発、出荷検査用のプログラムを任せていただきました。
当時、未だPC98などのパソコンが出始めの頃です。
最新技術をいくつも採用して、当時としては最先端のPOSを設計しました。
PC98が未だ5インチのフロッピーディスクの頃に、3.5インチのフロッピーディスクやハードディスクを採用しました。当時の基板は、スルーホールと言って穴があいている基板にICチップを実装して半田付けする方式が主流でしたが、スルーホールが無い表面実装の基板を採用し、基板の集積度も極限まで上げました。3.5インチのハードディスクも表面実装は、POSでは世界初だったと思います。また、電気的に消去できるEEPROMを採用したり、自己診断プログラムを内蔵したりと、とにかく最新技術をたくさん採用しました。当時の技術としてはトップレベルだったと思います。
しかしながら、数年後、私は大手自動車メーカー(マツダ)に転職します。
転職の理由は実家に近く(広島)、給料が200万円近く上がるといった安易なものでした。
マツダでは、自動車の組み立て工場における、ロボットの研究開発を行う事になります。
以前のPOSのハードウエア開発とは全く異なる仕事です。
ロボットを動かすには、専用の言語とシーケンサーという専用の制御装置を使います。
自動車の組み立て工場の生産管理部門に配属されたので、自動車の部品や組み立て工程がわからなければなりません。
新たな職場環境のため、人脈もまったくありません。
前職で培ってきた、技術力はほとんど役に立ちません。
職場に配属されてしばらくは、慣れない環境にストレスも多く、それまで積み上げてきた自分が全て否定されている感じがして、とても辛く、それまでの成功を全て捨てて転職したことを酷く後悔します。
そもそも、転職の理由は実家に近く(広島)、給料が上がるといった安易なものでした。
初心に戻りロボットの事、シーケンサー言語、自動車の生産ラインなどを基礎から勉強しました。
そして新たな研究開発の仕事「ロボットの自動プログラミング」「シュミレーションプログラミング」「故障自動検出ソフト」などの開発に取り組みました。
人脈も無かった為、配属された部署から徐々に初めて、少しずつ知り合いを増やしていきました。
転職した当時は、「失敗した」と思ったのですが、今思えば、当時最新のロボット技術について学べたのはとても良かったと思います。
最近、自動運転やロボットについて話題になっていますが、私は当時の経験があるのでそれほど抵抗なく最新のテクノロジーについて話を理解することができます。ディープラーニングの前身的なことも当時経験しています。また生産管理部門にいたことで、工場や生産管理についてある程度の流れや環境について理解できたのは良い経験でした。最近ドローン制御やラズベリーパイを使った制御などの話が出てくる事がありますが、NEC時代のハードウエア技術者の経験があるのでこちらも抵抗なく色々な話を理解する事ができます。
人生で失敗したと思った経験(2回目の転職)
マツダ時代に、妻と結婚します。妻とはNEC時代に東京で知り合い、遠距離恋愛の末、結婚して広島で暮らし始めます。妻とは妻の両親の反対を押し切って結婚しており、挨拶に行った際に「妻の実家である北海道に移住して欲しい」「養子に入って欲しい」とお願いされたのを全てはねのけて、強引に結婚して広島で結婚生活をスタートさせました。
結婚してしばらくすると、「慣れない土地」で「友達もいない」「方言にもなじめない」といった環境で、妻は徐々に体調を壊し、弱っていきました。
ここまま、広島でこの生活を続けると「妻は死んでしまうかもしれない」と思い、2回目の転職を決意します。
転職先はCSK北海度システムという50人程度の北海道のソフトウエア会社です。
まずは東京勤務後に北海道に移住するという条件で、入社しました。
入社直後配属された職場は、通勤時間が片道2時間以上かかり、仕事の内容も汎用機(大型コンピュータ)上で業務システムを開発するといったモノです。
それまでの、NEC時代のスキルもマツダ時代のスキルも全く役に立ちません。
スキル的には新入社員状態に逆戻りです。
ここでは、大規模案件のウォータフォールでの開発の進め方や汎用機(大型コンピュータ)の開発やプロジェクト管理などを1から学びました。
スキルがほとんど無い中で、一人だけで別会社にSES(時間精算の契約でお客様の職場で働く)契約で配属されました。
ここでも、人脈はゼロスタートです。慣れない環境にストレスも多く、それまで積み上げてきたモノが全て否定されている様で、転職したことに酷く後悔しました。
そしてこの転職で、「往復4時間の通勤時間」や「厳しい職場環境」などの無理がたたり、クローン病という大病を患ってしまいます。腸閉塞を起こしていたので、「断腸の思い」の転職だったのだと思います。
しかし大病は患いましたが、以前のブログでもお話ししましたが、「人生観」が変わったのもこの時期です。
ここでの経験は辛い経験でしたが、大規模プロジェクトでの管理手法やプロジェクトマネジメントについて学べ、後の仕事に大きく役立つことになります。現在、私が基幹系の大規模システムを抵抗なく実行できるのはココでの経験があったからだと思います。
ですから、大病を患ったことも、大変な経験をしたことも全く無駄ではなかったのではと思います。
営業職に移動
大病をして、半年の入院生活の後、会社からの配慮で札幌に転勤になり営業職に異動になります。
そこから3年間、営業職を続ける訳ですが、技術職から営業職への移動を命じられても、「営業って何するんだっけ」といった状態からのスタートです。そもそも希望していた職種ではないので、営業成績もさっぱりです。
そんな中で、日本ユニシスから営業のプロが転職してきて同僚となります。またコンサルファームからコンサルタントとして実績のある方が転職してきて同僚となります。
営業のプロとは、頻繁に営業同行し、営業のスキルを徹底的に盗みました。
コンサルからは、コンサルタントとしての基本的な考え方や進め方を徹底的に盗みました。
実は営業職での私は、1年目2年目は全く実績が上がらず、社長に何度も机を叩かれて激怒されるほどの駄目っぷりでした。しかしながら、1年目2年目に地道に「種まき」「水やり」を続け、3年目についに大きな案件をいくつも続けて取れるようになりました。
嫌だった営業職ですが、営業の基礎やコンサルティングの基礎をこのときに学ぶ事ができました。
技術者として営業職の経験なんて全く無駄の様に思えますが、「要件定義フェーズでの調整」や「見積もりの根回し」や「お客様との交渉」はこの時に身についたものです。これらのスキルは現在の技術職でも充分役立っています。
経験を賢く生かすならば、何事も無駄ではない
「経験を賢く生かすならば、何事も無駄ではない」オーギュスト・ロダンの言葉です。
歳を重ねて思うことは、「経験を賢く生かすならば、何事も無駄ではない」ということです。
その時は「無駄」だとか「失敗」などと思っていた「経験」が、長い目で見ると「必要な経験」だったり、「武器」になっていると思います。
私は、現在、取締役として会社の経営に関わっていますが、大病したときに簿記の勉強を始め、その後、税理士の勉強を行ったことや、独立して法人を立ち上げた事が経営的な視点にとても役立っています。
そして、たまに大プロジェクトのコンサルティングやプロジェクトマネジメントを行いますが、CSK北海道システム時代に経験した汎用機(大型コンピュータ)の開発や営業時代のコンサルタントとの付き合いがとても役に立っています。
弊社はドローンやロボットの研究開発も行っていますが、NECエンジニアリング時代のハードウエアのスキルやマツダ時代のロボットの研究開発の経験が役立っています。
現在、営業部門のマネジメントも行っていますが、CSK北海道システム時代に行った営業職の経験が役に立っています。
そのときは嫌でも、苦しくても、無駄だと思ったとしても、「経験」は後で役に立つことがあります。
自分の知らないこと、経験していないことを行おうとすると、とてもストレスがかかります。
今までやってきたことを捨てて、新しい世界に飛び込むと、失うモノが多く、後悔します。
でも、嫌な事でも真剣に取り組んでいると、得るものは多くあります。
新しい事に挑戦するとストレスもありますが、多くの発見があります。
経験をどの様に捉え、前向きに活かせるかが大切です。
無駄な経験だと思ってしまえばそれまでです。
「経験を賢く生かすならば、何事も無駄ではない」と思えるかは、本人次第だと思います。
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