脱皮できないヘビは死ぬ | 新陳代謝できない者は滅びる

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脱皮できないヘビは死ぬ

ヘビは、脱皮しますが、これは成長して体が大きくなったから皮を脱ぐと言うよりも、「新陳代謝」の為に脱皮をしているとのことです。

「脱皮できないヘビは死ぬ」はニーチェの言葉ですが、
わかりやすく言うと「新陳代謝できないヘビは死ぬ」ということだと思います。

人間の体をつくっている細胞は、常に新陳代謝を繰り返しています。
胃腸の細胞は約5日、肌は28日、骨はおおむね3~5年で全すべての細胞が新しくなります。
皆さんは、毎日、同じ自分のつもりでいるかもしれませんが、体の細胞のほとんどは数年で全て新しく入れ替わっています。

私たちの体は、自らの命を維持するために、激しく新陳代謝を繰り返します。
新陳代謝がなければ、現状にとどまることすらできず、朽くち果はてていきます。
ヘビが脱皮を繰返かえし、古い皮を脱ぬぎ捨すてながら生き続けていくように、
人間も、細胞レベルで古い肉体を捨てて、常に新しい肉体を獲得しながら命を維持しています。
肉体が常に古いモノを脱ぎ捨すてながら新らしくなっていく中なかで、意識としての「自分」は時間を越えて、寿命を迎むかえるまで連続性のある「個」であり続けるのです。肉体を丸ごと入れ替えながら、「個」としての存在し続ける人間とはなんて神秘的でしょうか。

基礎代謝と新陳代謝

基礎代謝とは、生きるために必要なエネルギーを使うことです。
例えば「呼吸する」「心臓を動かす」「体温調節する」など、生きていく運動に最低限必要なエネルギーを使うことを基礎代謝と呼びます。
新陳代謝とは、古い細胞から新しい細胞に変わる時にエネルギーを使うことです。
「髪の毛が生え変わる」「皮膚が角質となって落ち新しい皮膚と入れ替わる」などが新陳代謝です。

生命にも組織にも「新陳代謝」が必要

生命は、 新しいものと古いものが入れ替わっていくという新陳代謝によって、生命を維持しています。究極は、違う個体(子孫)として遺伝子が受け継がれていく生命の伝承はまさにそのものです。
種の存続においては個体の入れ替わりが必須です。
個体の存続にとっては、細胞の入れ替わりが必須です。
組織の存続においては、変化する事が必要です。
細胞が定着すればするほど、ヒトは老化していきます。
人が定着すればするほど、会社や組織は老化していきます。
個人において、過去の成功体験だけに固執して、新しい経験を取り入れていかないと、個人は老化していきます。
組織において、陳腐化している既存事業に固執して、新規事業にチャレンジしていかないと、組織自体が衰退していきます。

不易流行

「不易」は、いつまでも変わらないこと。
「流行」は、時代とともに変わること。
です。「不易流行」は江戸時代に生きた松尾芭蕉の言葉です。
「不易流行」とは、「変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しい流れを取り入れていくこと」です。
これは、一見矛盾するようにも思えますが、世界は大きく変化する中で、我々はその変化に対応していかなければなりません。しかし変化に踊らされて、本質的な事を見失ってはなりません。

死んでいく会社

事業には「寿命」があります。
過去の成功体験にこだわって赤字事業や赤字製品のような「いらないもの」をいつまでも継続してはなりません。
短期的に見れば必要と思われる事業でも、中長期的に見れば不要なものは思い切って整理し、限りある経営資源を未来の可能性のある事業に振り向けなければなりません。

「いらないもの」は自然に消えてなくなるわけではありません。
「いらないもの」は明確な意思をもって、断捨離しなくてはなりません。
「死んでいく会社」ほど、「非効率」が放置されています。
「無意味になった業務」「価値のなくなった業務」「非効率で非生産的な業務」を、放置すると増殖し続けます。

経営資源は限られます。人手不足がますます深刻化する中で、企業にとって「業務の断捨離」が必須です
業務に潜む「膨張」「滞留」「過剰」という「リスク」に、意識的にメスを入れなければなりません。
組織が陳腐化すると、自分のやり方や経験則に固執する「業務の個別化」や、革新や進化が生まれない「業務の陳腐化」が増殖します。
これらは明らかに業務のスピード感を大きく毀損します。
「業務の過剰」は無意識的に自然発生します。例えば「過剰品質」や「過剰サービス」です。
厄介なのは、現場で働く社員たちはよかれと思って行っていることです。
日本の組織では本来の目的を見失い、手段が目的化し、手段を見直そうとせず、手段そのものを存続させることを自己目的化してしまいます。組織は意識して変えていかないと劣化が加速します。

人は変わらなければ生き残っていけません

世界が大きく変化する中で、求められる人材も大きく変化していきます。
今まで人間がやってきた単純労働は、ロボットやコンピューターやAIに置き換わります。
自動運転が普及すると、タクシーの運転手も配送業者もいらなくなります。
自動レジが普及すると、店員がいらなくなります。
工場のロボットが普及すると、単純労働者はいらなくなります。
ロボットやコンピューターやAIが普及すると、雇用が減少するかというとそういう事ではなく、新しい分野で雇用が必要になります。

時代とともに求められる人材は変わります。
年齢とともに求められるスキルは変わります。
例えば、私は20代の時にハードウエア技術者でした。しかし、就職してしばらくするとCADが普及して、手書きで電子回路を設計する時代は終わりました。
20代後半にソフトウエア技術者に転向しました。
当時はMS-DOS上でアセンブラ言語やC言語が主流でしたが、次々に新しい言語や開発環境やOSが出てきて、新しい技術に対応しないと技術者としては生き残れませんでした。
30代になると、リーダーやPMを任されるようになりました。そうするとマネージメントのスキルが必要になりました。

また、プログラムの開発だけでなくお客様から要件をヒヤリングし設計しなければならなくなったので、業務知識・要件定義・設計等のスキルが必要になりました。
30代の後半に務めている会社が倒産しました。
倒産をきっかけに独立して会社を設立しました。
そうすると、経営や会計の知識が必要になりました。
年齢を重ねるとともに周囲からの期待は高くなり、コンサルティングのスキルが必要となりました。
このように、時代とともに年齢とともに、求められるものは変化し、それに対応しないと生き残っていけないのだと思います。
人は変化する事や成長することを止めると、社会から必要とされなくなっていきます。
組織も新陳代謝がなくなると、老化が始まり、やがて死んでいきます。
組織も人も、血液が良好に循環し、常に新しい細胞に入れ替わっていく必要があります。
脳細胞も、新しい知識を常に入れて、刺激を与えていかないと、細胞は死んでいき、考える力が委縮していきます。

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