よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ

人生
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ソクラテスの言葉

表題の「よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ」はソクラテスが死刑の判決を受け牢獄に収容され、旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と助言したときに言った言葉です。

ソクラテスは「大切にしなければならないのは、ただ生きるのではなくて、よく生きるということなのだ」とも言っています。

私たちは、日々の中で給料をもらう為、生活する為、ただただ、仕事をしているかもしれません。
会社のルールや社会のルールに、何も疑問を持たずに、毎日、目の前の事で精一杯で、黙々と生きているかもしれません。
ほとんどの大人は決められた職場で真面目に働き、常識を持ち、社会で問題を起こさないようルールを守って生きています。
そのような決められた社会的制限がある生活の中で、「ただ生きている」時間もあると思います。
全てが全て、「よく生きている」人なんてそんなに、いないのではないかと思います。
私の場合は、日々、失敗の連続です。
後から思えば「もっとこうしとけば良かった」と反省することが多くあります。
とてもではないですが「よく生きている」なんて言えない感じがします。
ただし、日々、失敗の連続、反省の連続ですが、「よりよく生きたい」とも常に思っています。
残念な事に、なかなか上手くいっているといった実感は無いんですが。
「よりよく生きる道を探し続けること」は永遠に探し続けることで、永遠に満足することは無いのかもしれません。

「よりよく生きる道を探し続ける」とは

まず「探求心」と「探究心」についてお話しします。

「探求心」とは、辞書によると「物事を手に入れようとして探し求めること」だそうです。
「探究心」とは、辞書によると「物事の真相・価値・在り方などを深く考えて、筋道をたどって明らかにすること」だそうです。

ソクラテスの言う「よりよく生きる道を探し続ける」は、どちらかというと「探究心」なのだと思います。

探究心によって新たな知識を求め、自分の内面や物事の真相に向かって、深く掘り下げていき、生きる事について深く考え、よく生きる道を探し続ける事なのだと思います。

何事にも興味を持ち、 本に書いてあることやニュースの内容、権威のある人の言葉でも「本当にそうなのか?」と疑問を持ち、情報の裏に隠れた背景や意図をいくつも汲み取り、物事の背景や本質を見抜いて深く知ろうとすることだと思います。

人生において何かひとつの壁にぶち当たったとしても「この壁を乗り越えれば、新しい発見が先に待っている」と理解し納得いくまで追求します。

「求め続ける」という事は、求めるモノが得られない場合、もがき苦しむ事もあります。
しかしながら、何かに取り組んで成し遂げて成果を得たとき、その果実よりも、それを得るために努力した日々、悪戦苦闘した日々が、いとおしく感じることもあります。
そう探し続けることこそ最高の人生かもしれません。

最近、高齢の母と話をするとき、戦争中の苦労した話をよく聞きます。
大変だったあの時、死にかけたことありました。必死に生きる事だけを考えていました。悲惨な死に方をした人も沢山見てきました。でもそれを乗り越えて今、生きているということを思い出して、幸せに感じているのだと思います。

ワクワクすることを探し続ける

現状に満足することなく、常に今よりもいい人生を探し続けることは、なんだかワクワクしますよね。
探し続けることが、人生そのものなのかもしれません。
探し続けることで、前向き変化を創り出すことができ、その変化の発見にワクワクします。
前向きな変化は、自分も廻りも幸せにしていきます。
前進すること、今よりもいい人生を探し続けること、ワクワクすることはすごく楽しいことです。
水は流れていると澄んだままですが、一カ所に留まると腐ります。
人生も立ち止まると淀みます、ワクワクする方向にどんどん進んでいきましょう。

よく生きるとは

ソクラテスによると、価値がある善なる行いとは、お金を稼ぐことでも、健康を維持するのでも、容姿端麗でも、地位でもなく、自分の魂をより優れた善なるものに磨き上げることだとしています。
つまり、自らの魂を善いものへと高め、さらには、周りの人々の魂をも巻き込んで、それらを共により優れたより善いものへと高めていくための知の愛求こそが「よく生きる」という生き方の核心だと思います。

プラトンは、徳は「知恵」「勇気」「節制」「正義」から成ると説きました。
知恵とは、知識と経験が融合して築かれるもので、物事を正しく判断していく機能のことを表します。
勇気とは、実行する為の強い意思です。知識だけあっても実行する勇気が無ければ、何も生まれません。

節制とは、欲望をうまくコントロールする事です。
そして、「知恵」「勇気」「節制」は全て「正義」がなければ意味がありません。
そもそも魂は「理性」「意思」「欲望」から構築されています。
「理性」とは、身につけた「知恵」により論理的に物事を判断できることであり、強い「意思」により勇気を持って実行され、「欲望」が正しくコントロールされる事により、秩序が守られます。
よく生きるとは、魂を高めることであり、「知恵」「勇気」「節制」「正義」を高めることです。

魂と身体と金銭の関係

健康を害して病気になってしまうと、魂を成長させるための思考にも支障をきたしてしまいます。
さらに病状が悪化すれば、善く生きるための前提となる命自体が失われてしまいます。
貧乏で、それが窮まれば、自由に知を愛求するための心の余裕も失われます。
お金がなければ、病気になって病院に行って治すこともできません。
では、健康でお金があれば、魂が卑しくてもいいかというとそういう訳でもありません。
魂と身体と金銭の関係は、どれもが欠かすことができない三位一体の関係にあると思います。

自分だけを大事にしようとすると不幸になっていく

本当の生きる喜びは,自己満足のうちにはありません。
自分だけお金持ちになって、廻りが貧乏になっていると、妬まれます。
自分だけ良くなって、廻りが不幸になると、そのうち足を引っ張られます。
廻りが一緒に良くならない限り、一緒に喜んでくれる人もいません。
生きる喜びは「他者との交わり」のうちにあるのです。
自分のまわりの人や社会が良くなり、一緒に自分が良くなれば、みんなで幸せを分かち合えます。

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