無知は罪なり | 無知は自分を不幸にすると共に他人も不幸にします

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無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり

ソクラテス

ソクラテスの言葉です。
「無知は罪なり」とは、「知らなかった、わからないなかった、習っていない」と開き直ることや
知ろうとしない、学ぼうとしないことは無知であり、それ自体が罪であるという事です。
「知は空虚なり」とは、知識だけあっても行動しないならば虚しい(価値はない)ということです。
行動している人に対して、知識をひけらかし、批判だけをして、自らは何も行動しないことは虚しいことです。
責任有る立場の方が、理想論だけを述べて批判し、自ら具体的な指示が出せないのは虚しいことです。
「英知持つもの英雄なり」とは、知識があって行動する人が優れた人という意味です。
「知行合一」と同じ意味になると思います。
行動を伴うことができるのが本当の知だと思います。
知っていても実践しないのでは本当の知とは言えません。
知っているのにやらないのは、知らないと同じことです。

リーダーが無知だったら

例えば、プロジェクトマネージャーがマネジメントについて無知で、プロジェクトを失敗して多額の損失を出したならそれは「罪」だと思います。そのプロジェクトマネージャーが無知だとわかっていてあえて任せて、プロジェクトマネージャーの無能さを非難しているだけの上司も「罪」です。例え上司が「プロジェクトマネージャーが無知である」と判断できなかったとしてもそれは判断できない「罪」だと思います。リーダーは自分の職責において、それを実行する為に必要な知識を身につけ、実行できなければなりません。財産や名誉を得る事のみ執心し、己の魂を善くする事に努めないのは恥です。

責任を取りたくない人たち

問題が発生した時、言い訳をし、他人の責任に転嫁する場面を多く見かけます。
例えば、政治家が、都合が悪くなったら「記憶にございません」とか「秘書がやったこと」と言って責任逃れしている場面を多く見かけます。この様な人たちは国民を不幸にします。ですから責任取れないならば政治家を辞めていただきたいと思います。
職場でも、「自分はよくわからないので」と言い訳をするリーダーが多くいます。
しかしながら、リーダーとして判断できないならば、部下はみんな不幸になります。
責任を持って行動しないならば、リーダーである意味がありません。
責任を取りたくないならば、そもそもその職責につくべきでは無いと思います。
「みんなで相談して決めるという」と民主的な発言をする人もいますが、これは一見正しく聞こえますが、ある意味責任逃れの裏返しではないかと思います。

夢だけをかたるリーダー

理想だけ掲げて、立派な夢を語るベンチャー起業家は多いと思います。
夢は追っていても、実現しなければ意味が無いと思います。
責任を持った大人というのは、現実を見ながら、夢を語れる人だと思います。

誹謗中傷する人たち

匿名で、誹謗中傷することは罪です。
「誹謗」とは、他人の悪口を言ったり、罵ったりすることです。
「中傷」とは、根拠のない事を言いふらすことで他人を傷つけることです。
意見を言う場合、そこには責任が生まれます。匿名は責任逃れです。
匿名で、誹謗中傷するという事は、無防備な人の背後から石を投げつけるような行為だと思います。
誹謗中傷は時には人を殺します。
自分の発言が時には人を殺してしまうことを理解し、罪である事を意識すべきです。

無知は罪なり

無知である事は、知らず知らずの内に、廻りに害を及ぼしています。
無知である事に気付いていないならばなおさらタチが悪いと思います。
無知は自分を不幸にすると共に他人も不幸にします。
例え知識があったとしても、その知識が使えないならば、知識が無いのと変わりません。
人間の美徳は絶え間ない学びとその実践と経験によって強まります。
いくら学んでも、まだまだ不足している知識があります。
よりよく生きる道を探し続けることが大切です。
自分が未熟である事を認識し、魂の探求をし続ける事が人にとって大切だと思います。

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