因と縁が和合して運命となる | 自業自得

スピリチュアル

因と縁と運命

因とは、直接的な原因の事です。
縁とは、間接的な要因の事です。
例えば、種を植えて果実を育てる場合、種は「因」です。
「土」「水」「空気」「温度」「栄養」などの間接的な要因は「縁」です。
「因」と「縁」が揃って、作物は育ち、実を付けます。
このように、結果は、「因」だけでも起きませんし、「縁」だけでも起きません。
因と縁がそろってはじめて結果が得られます。
私たちの運命は、私たちの行い(因)と、環境やタイミング(縁)が結びついたときに、実際の運命(結果)として現れます。
すべての結果には必ず原因があります。
原因とは、直接的な原因である「因」と間接的な要因である「縁」です。
全ての運命は、因と縁が和合して発生しています。

自業自得

災難や困難に遭遇した時に、環境や他者などの間接的な要因(縁)のせいにしていると、その環境や他者が変わらなければ、自分の運命は良くなりません。
つまり、自分の運命を間接的な要因(縁)に依存していると、「縁」に縛られ苦しみから逃れません。
自分でどうにもならない環境や他者などの「縁」を変えようとするよりも、自分でコントロールできる自分の行い(業)を変えることが、運命を良くする為には必要です。
自分の行動や心がけを変える事で、運命ははいくらでも変える事ができます。
生まれつき運命が決まっているのではありません。
自らの行動(業)が原因(因)となって環境(縁)と結びついて運命が創り出されるのです。
自分の行い(業)が自分の運命となって帰ってきます。
自分の行いによって結果が報われる事が因果応報であり、自業自得です。
悪い種を蒔くと、悪いことが起こります。
新たに悪い種を蒔かないことを心がけるとともに、すでに蒔いてしまった悪い種については反省することが大切です。

業(カルマ)

業には、「身業」「口業」「意業」の3つがあります。
身業とは身体で何かすることです。
口業とは口でしゃべることです。
意業とは心で何か思うことです。
例えば殺人をした場合、
殺人する行為は「身業」です。
殺人したいと話すことは「口業」です。
殺人したいと思うことは「意業」です。
殺人は恐ろしい罪ですが、仏教では、心で思う事が、最も恐ろしいと教えられています。
口や身体が動くのは、心が命じたからですからです。
ですから根本的な原因は心から来ているため、心で何を思っているかが重要です。
私たちの運命は、自分の「業」が原因となって、縁と和合して生み出されています。
善い行いは善い運命を生みだし、悪い行いは悪い運命を生みだします。
善または悪の業を行うと、因果の道理によってそれ相応の楽または苦の報い(果報)が生じます。
「身業」「口業」「意業」の3つの「業」によりそれが「因」となり、「縁」と和合して運命が生まれます。
「因」だけでも結果は起きません。
「縁」だけでも結果は起きません。
結果が起きたということは、「因」と「縁」が揃ったということです。
そこには、自分が行った「業」が原因となって「因」となっています。
全ての原因の種は、自分にあるのです。

惑業苦

惑とは、「煩悩」の事です。
業とは、「悪い行い」の事です。
苦とは、「苦しみ」の事です。
惑によって(煩悩によって)よからぬ事を考えると、悪い「業」を行ってしまいます。
悪い行い(業)を行ってしまうと、因果応報の道理にしたがって、苦しい運命を生み出します。
「惑」が「業」を生み出し、「業」が「苦」を生み出すのです。
「煩悩」によって、「悪い行い」が行われ、「悪い行い」による因果応報により「苦しみ」が生まれます。
こうして「惑→業→苦→惑→業→苦……」という悪循環に陥ります。

業力不滅

心と口と身体の三つで造られた「身業」「口業」「意業」の3つの「業」は、目には見えない「業力」という力として、蓄えられます。「業力」は決して消えることなく蓄え続けられます。これを「業力不滅」といいます。

心と口と身体

心で思っていることは、言葉に現れ、やがて行動に現れます。
心で悪しきことを思っていると、丁寧に言葉を発していてもつい失言しまいます。
心で悪しきことを思っていると、身体の不調となって現れます。
心がきれいだと、何気ない心遣いも優しく、所作も美しくなります。
「身業」「口業」「意業」は蓄積されます。
良い業は、良い「業力」として蓄積され
悪い業は、悪い「業力」として蓄積され「心」「口」「身体」に影響します。

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