社畜と家畜

会社員における「社畜」と「家畜」についてお話をしてみたいと思います。

社畜とは

社畜とは、自分の意思や感情や良心を放棄し、会社に飼い慣らされ、奴隷化した賃金労働者を言います。
家庭をかえりみず、毎日夜遅くまでサービス残業して、休日出勤も甘んじて受け入れ、滅私奉公して会社のために働く。そんな会社に人生をささげた人たちです。
「社畜」は、会社のいいように使われ、失業が恐ろしいため、逃げることもできません。
昔は、「年功序列」や「終身雇用」が当たり前だった為、忠誠心と共に雇用の保障が約束されていましたが、今や「リストラ」や「早期退職制度」は当たり前で、業績が悪化すると会社は社員を簡単に切り捨てます。
時代の変化と共に、必要とされる人材のスキルも激変しています。
忠誠心だけでは生き残っていけない時代が来たと言って良いでしょう。

家畜とは

家畜とは、出世を望まず、家庭を一番大切にしたいと考える人たちです。
その為、仕事を軽視し、上司や同僚の反感を買ってしまう人も増えています。
家畜は何もしなくてもごはんが貰えます。
家畜は飼われている時は、のほほんと生きられます。
家畜は何も考えておらず、クビを切られる瞬間まで怯えません。
家畜は、役に立たないと判断されると、突然、処分され(仕事を失い)ます。
ちなみに、鶏は卵が埋めなくなると、食用に回されます。

役に立たなくなれば処分される

社畜も家畜も、「役に立たなくなれば処分される」という意味では同じです。
社畜の方が忠誠心を評価され、「処分される」リスクは低いと思われますが、「処分」された時のショックも大きいと思います。何故なら「社畜」は「家庭」を省みなかったため、「仕事」も「家庭」失っている可能性が高いですが、「家畜」にはまだ「家庭」が残っています。
定年と同時に妻から「熟年離婚」を告げられるのは、「社畜」の方が圧倒的に多いと思います。役に立たなくなれば(収入が無くなれば)妻からも処分されるのです。

役に立てば処分されない

社会において、時代の変化と共に自分のスキルを進化させ、求められる人材であれば処分されるリスクは少なくなります。例え、その会社で処分されたとしても、仕事はいくらでもあります。会社に忠誠心を誓っていたとしても、実力さえ有れば、他社からのオファーがあれば、条件の良い会社に転職することも可能です。会社と社員である自分は対等であるべきと考えます。会社>社員の場合は、飼い慣らされ奴隷化します。
自分が社会から求められる実力であり続け、奴隷化しないよう努力する必要があります。
自分の意思を尊重し自分の自由を勝ち取るためには、実力を身につけ会社と対等である必要があります。

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