議論において勝ち負けは重要ではない | 真理を追究する議論

コミュニケーション

議論で負けると惨め?

議論で負けると自分自身が否定されている感じがして、惨めな思いをされている方はいらっしゃるのではないでしょうか。
また、同僚や上司との間で議論をすると、お互いに対立している感じがする為、なるべく議論を避けようとする人も多いのではないかと思います。
そもそも、議論はなぜ行うのでしょうか?
勝敗の為ですか?誰が正しいかを証明するためですか?
自分の意見よりも相手の意見の方がより良い意見ならば、素直に相手の意見を受け入れたとしても、別に惨めでも負けたわけでも無いのではないでしょうか。議論に負けたと思ったとしても、議論に勝った側の人から新しい価値観を手に入れる事ができています。一方、勝者は正しい価値観を提供していますが、新しい価値観は得られていません。
よって、議論で言い負かされても実利的に得になるならば、実質的な勝ちだとも言えます。
より良い意見を提供してくれる相手は自分を高めてくれる存在であり、批判を受け入れて進歩した人間は最終的に、より幸せな人生を過ごせます。

「論戦」と「真理を追究する議論」

議論を戦いだと捉えるならば「論戦」とは、とにかく勝ち負けにこだわります。その為には大声をあげたり、怒鳴ったり、威嚇したり、本質的に何が正しいかではなく、どちらの主張が「勝ち」で、どちらの主張が「負け」なのかを決めます。戦いの後には何らかの後味の悪いモノ(感情的な傷)が残ります。
「真理を追究する議論」とは、どちらが「勝ち」「負け」とかにはこだわらず、本当に正しいこと(真理)を追究する為の議論です。もしかすると議論の最初はどちらの意見も不完全だったりするかもしれません。お互いに議論を進めていく中で、より良い答えを見つけるために議論を深めていきます。そこには対立は必要なく、純粋に真理を追求する共通意識が存在します。よって相手の意見の方が良ければ素直に認めるべきですし、自分の意見が劣っている場合は素直に認めるべきです。しかしながら、相手の意見を認めたからと言って、何も惨めになる必要はありません。なぜならばあなたは、正しい真理や価値観を得ることができたからです。謙虚に受け入れることであなたは大きく成長することができます。

人は誰しも自分を正当化したい

人は誰しも、自分を論理的に正当化したいと考えます。
それは、自分の存在や価値観や人間性を否定されたくないからです。
したがって、自分の論理を徹底的に破壊されると、自分自身が破壊されたような気がして、自尊心が傷ついてしまいます。そして自尊心を傷つけた相手を恨むことになってしまいます。
相手を論破して従わせようとするのは、強引に力でねじ伏せようとするのと同じです。強引に力でねじ伏せても、心で納得していないならば、心の底では反発します。
相手を納得させようとするなら、相手を攻撃するのではなく、相手がどうすれば納得するかをまず考えることが大切です。例えば相手がお客様だった場合、議論で勝ったとしても、商売では失敗してしまいます。必要なのは、議論で勝つことではなく、自分を無理に正当化することではなく、お互いに納得できることです。

相手を言い負かすことにこだわると、相手に負の感情を残します。議論を重ねて、より良き結論を得ることを目指すならば、相手も心を開いてくれるかもしれません。決して議論において相手を陥れるようなやり取りをしてはいけません。相手にも感情があります。感情を損なわないようケアしながら建設的な議論を行えるよう気をつける必要があります。

北風と太陽の物語

あるとき北風と太陽が、どちらが偉いかを巡って議論をしていました。
しかし、どちらが偉いかなかなか結論が出ません。
そこで話し合った結果、目の前にいる旅人のコートを脱がせたほうが、偉いことにする事になりました。

まずは北風が強い風を旅人に吹きつけ、力でコートをはぎとろうとします。
しかし、旅人は、風が強くなればなるほどしっかりとコートを身にまとい、剥ぎ取られないようにしました。
結局、北風はついに旅人からコートをはぎ取ることができませんでした。

次は太陽の番です。太陽は旅人に微笑みかけ、暖かい日差しを送り続けました。
その結果、気温は上昇し、旅人は熱くなってきて、しまいにはコートを脱いでしまいました。
この勝負は太陽が勝利を収めたのです。
相手を北風のように力ずくで論破して従わせしても上手くいきません。
太陽のように、「相手がどうすれば納得するか」をまず考えることが大切です。

ちがう意見は「敵」ではありません

日本人は反対意見を言うと敵対していると感じる場合が多いと思います。
しかしながら、一つしか意見が出なかった場合は、深い議論をすることができません。なぜなら色々な意見や選択肢を検討して正解を導き出すと言ったプロセスが実行できないからです。ですから、色々な意見が存在した方が色々な角度から検討できて、より良い議論ができると思います。
議論は、物事の理解を深め、より良い正解を求めるために必要なプロセスです。
よって異なる意見が出たからと言って、ムキになる必要はありません。
むしろ色々な意見が出ることで、より質の高い議論ができます。
議論では、勝敗は重要ではありません。
よりよい結論に到達できたならば、その議論は成功したと言っていいでしょう。

論に負けても実に勝つ

議論で言い負かされても実利的に得になるほうが、実際の勝ちです。感情的になる必要はありません。

Follow me!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました