利他の心は大切。それってきれいごと?

心理学

「利己の心」と「利他の心」

「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「他者が良くなるように」と考える利他の心があります。
利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、他者の事は考えられておらず、他者にとって利益が無いわけですから、誰の協力も得られません。そして自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしても、誰も助けてくれません。
一方、利他の心は「人によかれと思うことをしよう」という心ですから、周りの人みんなが協力してくれます。
まわりのみんなの事を考えるので、視野も広くなり正しい判断がしやすくなります。

利他の心ってきれいごと?

「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」なんてきれい事のように思えます。

経済学的には、需要側と供給側が利益を追求して両者のバランスによる力に導かれて、価格が決まります。買い手はなるべく安く買いたいと思い、売り手はなるべく高く売りたいと思い、両者の折り合いの付く価格で取引が成立します。つまり利己心と利己心がぶつかり、需要供給がバランスするところに落ち着きます。

ここで、供給者が利他の心で「顧客が欲しがるモノ」「顧客が幸せになれるモノ」を考えたならば、買いたいといった需要が増え商売が繁盛します。つまり利他の心で需要を掘り起こせるならば、供給側も需要側もWIN-WINの関係が成り立ちます。

社会の中で、自分だけ得したいと思う人は沢山いると思います。
ゲーム理論に「囚人のジレンマ」というものがあります。
二人の囚人がいて本来ならそれぞれ懲役5年ですが、もし自白したらと減刑すると以下の取引が持ちかけられます。

  • 2人とも黙秘したら、証拠不十分として減刑し、2人とも懲役2年
  • 片方だけが自白したら釈放(つまり懲役0年)され、もう一人の黙秘した方は懲役10年
  • 2人とも自白したら、判決どおり2人とも懲役5年

この場合、囚人達は自分が懲役10年になりたくないので、自白してしまいます。
自白した場合は、悪くても本来の懲役5年、運良く相手が黙秘すれば自分は釈放されます。
これだけ見ると、利他的に相手の減刑を望んで黙秘すると損をすると思われます。
しかしながら「囚人のジレンマ」は1回だけならば、利己的に作用するのですが、継続的に繰り返されると、2人とも得する選択肢を選ぶようになるそうです。

我々の社会において、犯罪は後を絶ちませんが、秩序が乱れた、犯罪が多い社会に生活することは、我々にとって幸せだとは思えません。
アリストテレスは人間は「zoon politikon (ポリス的な動物)である」と述べました。
人は社会の中で色々なサービスを受けることで幸せに生きることができます。従って自分たちが住む社会がより良くなることが自分たちの幸せに繋がります。街でゴミを捨てると他者だけでなく自分も不快な思いをします。利他的な精神はより良い社会の一員として幸せになる為の自然な考え方だと思います。

ズルをしようと思っても直ぐにバレます

自分だけ得をしようと思っても直ぐにバレます。
いい人のふりをしても、直ぐにバレます。
逆に、利他の心を継続していると、周りの人がみんな協力してくれるようになります。
利他の心は、人と人とを結びつけ、「絆」や「仲間意識」を生み出します。
そうすると、幸せホルモンと呼ばれる「オキシトシン」が分泌されさらに幸せな気分になります。

地獄と極楽は、外見上同じように見えて、そこにいる人の心が違う

大きい釜があって、そこで美味しそうなうどんが煮えています。
それを食べるには、物干し竿のような長い箸を使うしかありません。
地獄では、みな利己的な心の持ち主だから、「オレがオレが」と我先に食べようと殺気立ち、うどんを奪い合い、つかめたとしても誰も上手く食べれません。

一方、極楽では、“利他の心”の持ち主ばかりですので、自分のことを先に考えるのではなく、自分の長い箸でうどんをつかむと、「お先にどうぞ」と言って、先に他の人に食べてもらう。すると、相手が「ありがとう。今度はあなたの番です」と言い、食べさせてくれます。
「利他の心」があれば、お互いに感謝を述べ合いながら、和気あいあいと食べることができます。まさに、そこにいる人の心の差によって地獄か極楽かの違いが生まれます。
つまり、心の持ち方ひとつで、地獄は極楽に変わるのです。

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