分かるという事

思考

大辞泉によると「分かる」とは、「意味や区別などがはっきりする。理解する。了解する」とあります。
「分かる」には大きく「頭で理解すること」と「心で共感すること」があります。
この二つは大きく違います。
「理解する」とは、客観的な論理に従って頭で判断する論理的判断。
「共感する」とは、心の内で感じるという感性的判断。
頭で分かっている状態が「理解」で、心で分かっている状態が「共感」です。
「理解」「共感」の以前に、「知る」という状態があります。これは情報だけを取得し「理解」「共感」まで至っていない状態です。
理解は経験を積むことによってさらに深まります。
例えば、料理について、「肉じゃが」という料理がある事を知っている状態が「知る」です。
料理本を購入して、「肉じゃが」の料理の仕方や栄養について学んだ状態が「理解」です。
「肉じゃが」を実際に作ってみる事は体験であり、食べてみておいしいと思うのは共感です。
実際に料理をしたり食べたりして経験をすることにより、より理解が深まります。

理解できても共感できない事があります。
例えば殺人犯のニュースを聞いて、どの様な経緯で殺人を犯したかは理解できても、犯人の行為に共感はできません。そういった考え方の人が存在する事実は頭では理解できても、感情的には共感できないのです。

また、理解していても、実際に体験してみると少し印象が違ったりします。
例えば、フランスについてテレビや雑誌で色々な情報を取得し理解したつもりでも、実際に行ってみると、見るものは新しく、さらに深く心で感じる事ができます。
「知る」「頭で理解する」「心で共感する」「身体で覚える」はそれぞれ分かる深さが異なります。
人を理解する場合は、もっと複雑です。人の心は変化し、確かなものがあり、本質も多面的である為です。
人を理解する場合は、一時的な論理的判断・感性的判断で白黒を付ける事はできません。理解する為には、まずは相手の立場になって考える事が必用です。
本当に必要なのは、頭で理解するだけではなく、心で理解する事だと思います。

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