誰が正しいかではなく何が正しいか

意見が異なると感情的になる人がいますが、自分の意見が間違っていたとして、それに気付かない事の方が、よっぽど不幸な事なのではないでしょうか?

意見が違っていても、意見がぶつかってもそれは当たり前な事、相手の意見を真摯に聞き、合理的に議論をし、自分が間違っていた時は感情的になるのではなく、素直に相手の意見を認めれば良いだけのことだと思います。 

議論はオープンに激しく行い、健全な摩擦であればそれはむしろ積極的に行い、合理的に何が正しいのか真を追求する事が大切だと思います。 

議論する上では地位や役職の上下は関係なく、誰が正しいでは無く、何が正しいのかを追求する事が必要なのだと思います。また、摩擦を嫌い、ぶつからずに陰で愚痴や陰口を言っている事は最低の行為です。心のわだかまりが、どこかに不健全な歪をもたらすと思われます。 

日本人は和を尊ぶ為、自分の意見を飲み込み、組織に従う傾向があると思います。また、上司や目上の人に意見を述べると、無礼な奴と思われ、活発な議論がされていないのではないかと思います。 

そんな引っ込み思案の日本人では、グローバルでは通用しません。議論もせずに自分の考えも言わず、相手に合わせて、分かっていない事を分かったふりをすると、かえって信頼を失ってしまいます。 

合理的な議論は積極的に行い、感情的になるのではなく、誰が正しいかではなく何が正しいかを追求する姿勢が必要だと思います。

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